伊勢神宮(内宮)皇大神宮 別宮
倭姫宮(やまとひめのみや)
御祭神
倭姫命(ヤマトヒメノミコト)
■伊勢神宮の起源に深く関わる、第11代 垂仁天皇の皇女
■御神徳:道開き・心身清浄
天照大御神を伊勢の地へ導いた、神宮の創始者をお祀りする宮
皇大神宮 別宮として「倭姫宮」は1923年に創立され、神宮別宮の中で最も新しいお宮です。
~ 第10代 崇神天皇の時代のおはなし ~
それまで天照大御神は宮中に祀られていましたが、天皇は宮を共にするのを畏れ多いと考え、皇女・豊鍬入姫命(トヨスキイリビメノミコト)に託して、宮外「笠縫邑(かさぬいむら)」へとお祀りされました。
その後、豊鍬入姫命の跡を受け継いだのが「倭姫命」です。
倭姫命は、天照大御神の御鎮座にふさわしい地を求めて、大和国から各地を巡りました。
そして、伊勢の地に辿り着いた際、天照大御神より「御神託」を受け、現在の地に伊勢神宮(内宮)を創建したと伝えられています。
伊勢の地にて、天照大御神から倭姫命への御神託
この神風の伊勢の国は、常世の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。この国に居をらむと欲ふ
日本書紀
『この神風が吹く伊勢の国は、常世の波が幾重にも打ち寄せる国である。
大和から離れた国ではあるが、大変美しい国である。私はこの国に留まりたいと思う。』
天照大御神が伊勢に御鎮座ののち、倭姫命は「神饌(神々にお供えする食事)を調達する場所」=御料地を定め、神職の奉仕の指針となる制度や祭祀などの教えを示し、神宮の基盤を築いたと伝えられています。
~ 倭姫命の御教え ~
人は天下の神物なり。心神*を傷ましむことなかれ。
倭姫宮御杖代奉賛会ページより—『倭姫命世記』
神は垂る*るに祈祷をもって先となし、冥は加うる*に正直をもって本となせり。
神を祭るの礼は、清浄をもって先となし、真信をもって宗となす。
* 心神=神様から授かった尊い身体・命
* 神は垂る=神の恵みを受ける
* 冥は加うる=神仏から目には見えない恩恵や御加護を受ける
(現代訳)
人は神から命を授かった尊い存在であるため、自ら心や精神を傷つけてはならない。
神の恵みを受けるにはまず「祈り」が大切であり、加護を得るには「正直な心」が基本となる。
神を祀る礼儀は「清浄」を第一とし、偽りのない誠実な心(心からの真信)が本質である。
~ 倭姫命の教え—神にお仕えする際の心得 ~
黒心なくして、丹心をもちて、清く潔く斎り慎しみ、
倭姫宮御杖代奉賛会ページより—『倭姫命世記』
左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、左を左とし右を右とし、
左に帰り右に回る事も、万事違う事なくして、大神に仕え奉る。
元を元とし、本を本とする故なり。
(現代訳)
邪心{ 黒心 }を捨て、偽りのない心{ 丹心 }をもって、身心を清らかにし慎み深くお仕えしなさい。
左にあるものを勝手に右に動かしたりせず、自然の理に従い守り誠実に神にお仕えしなさい。
物事の原点や基本を守り、本来の在り方を尊重するということでである。
倭姫命が残した教えは、今も神職の奉仕の指標とされているそうです。
元伊勢のはじまりの地「笠縫邑」はどこ?
天照大御神を最初に宮外に祀ったとされる「笠縫邑(かさぬいむら)」
この伝承の地は諸説ありますが、もっとも有力とされているのが、奈良県桜井市にある大神神社の摂社「檜原神社(ひばらじんじゃ)」といわれています。
その後、倭姫命が伊勢神宮を創建するまでに各地を巡る中、天照大御神の御神体である「八咫鏡」を一時的に祀ったとされる各地の伝承の地が『 元伊勢 』と呼ばれています。
斎王制度のルーツ
斎王(斎皇女)とは … 天皇に代わって、巫女として神様にお仕えする皇女のこと
倭姫命は、豊鍬入姫命から「御杖代(みつえしろ)」としての役割を受け継ぎ、天照大御神にご奉仕しました。
※ 御杖代…神様の御心を受けご奉仕する人
この役割は、のちに、代々天皇ごとに皇族女性が斎王として伊勢神宮や賀茂神社(下鴨・上賀茂神社)に遣わされる「斎王制度」へと発展したといわれています。
※ 第40代 天武天皇の飛鳥時代に制度として確立し、約660年続いたそうです。
周辺スポット「倭姫文化の森」
倭姫宮が鎮座する「倉田山」は豊かな緑に包まれた神聖な森です。
周辺は「倭姫文化の森」として整備されています。
敷地内には神宮に関連する資料を見学できる「神宮美術館」「神宮徴古館・農業会館」などの文化施設が集まっています。参拝とあわせて散策してみるのもおすすめです。

伊勢・倭姫宮 へのアクセス
三重県伊勢市楠部町
JR「伊勢市駅」より
【バス】…三重交通50・60・71系統、CANバスにてバス停「神宮徴古館前」下車 徒歩1~3分
